✳️岩作の警固まつり✳️
10月7日日曜日は明け方より、岩作の警固まつりに参加をさせて頂きました。
長久手市の警固祭りといっても実はひとつではありません。
長久手市は、長湫村、岩作村、上郷村が合併し今の長久手市の前身である長久手村として誕生した経緯があり、
それぞれの地区に警固祭りが伝わります。
それぞれの地区の伝統があり、人の想いがあります。
そしてそこには、人と人とを繋ぐ誇があります。
私の持論、政(まつりごと)は祭り事。
毎年各市町村、地域で行われる祭りには大きな意味があります。
日本、否、世界では、古来より祭りを通じて市、町、村、コミュニティの強化を行ってきました。
祭り事を通じて繋がる人びとがの姿があり、
喜怒哀楽を共有しながら人と人が議論し時にはぶつかり合い、
わずらわしさを通じ繋がりや存在を再確認し、
新しい命を喜び、
新しい人を認め受け入れ、
そして老若男女の個人の尊厳を互いに認め理解し、
祭り事を通じて、
まち、人びとの結束を強固にしてきました。
心をひとつにして馬ん塔を奉納をする神社《氏神様》の存在もここで大きな意味があります。
姿形は違えど日本全国で共通する意味合いは同じです。
わずらわしさや後継者不足、過疎または反対の市街化から祭りが廃止になったり祭りが消え行く地域もあります。
祭りが無くなれば、無くなれば無くなったで、人びとは、フェスや新たな自治区で新たな祭りを起こします。
やはり人は祭りを求めます。
政(まつりごと)は祭り事。
一部の方に片寄らず、多くの市民やまちの人びとに参加して頂いて、
わずらわしさや喜怒哀楽、日ごろの憂さ晴らしも良いです。
心をひとつにすることでまちの活性化と結束がおこなわれるのではないか。
もし、長久手市(他の市町も同じ)でまち全部の方が関わる祭り事があればどうなるのか。
人と人が知り合い繋がれば、争いや憎しみ合い、いじめや虐待、孤立や孤独も防ぐ事ができるのではないか。
政(まつりごと)は祭り事。
常にそんなことを考えています。
※当日は私はカメラやスマホは持参していなかったため、
掲載の写真や動画は市民の皆様よりご撮影頂き、送って頂きました。
有難うございます。






