ラジオ等でニュースされていましたので。
故郷 長久手市は、
住みよさランキングとは異なりますが、住みここちでも1位の評価を頂きました。
↓大東建託㈱様の特設サイトです↓
https://www.eheya.net/sumicoco/ranking/aichi/sumicoco_area.html
良い意味での長久手市○○1位、市民の方にはもはや慣れてしまった話題かもしれませんね(^-^)
住んでみえる市民からすると、私や議会にもご意見ご要望が絶えないことが現しますように、まだまだ諸問題はございますが、嬉しい話題です。
私が長久手市に生を受けた1974 年のまちの人口は約14,000人、
それがわずか40数年で60,000人になりました。
実体験で長久手住民あるあるですが、
20年くらい前までは、県内では、お住まいはどの辺り?と聞かれ、
長久手町です。と答えると、
ながくて?
愛知県?どの辺?とまた聞かれ、
名古屋の東、東名高速の名古屋インターの辺りですと答えると
ふーん。あーそぅ。のくらいでした。
また、地方や首都圏では、お住まいは?、、、と聞かれると、
少し間を置き、
愛知県、名古屋の辺です。と答えていたものです。
しかし今は違います。
自信を持って「長久手市!」と答えることができます。
先日、名古屋市より西、愛知の西部のまちに伺った際、
あんたどこから来た?と聞かれ、
自信を持って「長久手市です!」と答えましたら、
30、40代のお若い方々からは、女性を中心に、すごーい住みたーい✨と予想通りのご反応を頂きご満悦になりましたが(^∧^)
反面、ご高齢の方々からは、長久手?
あんななんもないところからどうやって来た?
湿地や葦だらけ、山や野っぱらしかないだろ?
と言われ衝撃を受けましたが、約50年前はたしかにそうでしたので、笑って当時のことをご存知で頂くことに感謝を申し上げました(^-^)
いまや議員や市執行部を含む市役所や議会にも長久手生まれ、長久手育ちの方がほとんど居なくなり、
長久手市の開発、土地区画整理事業に一族で関わるなど、
似た境遇の現長久手市長としかこの話はできませんが、
数百年まえから長久手の地に住まわれていた限られた住民が、私利私欲にとらわれず、利権に執着することなく、
名古屋から東に延びる都市計画に則り、自身の田畑土地を減らし供出する形で、
土地区画整理事業を行い、
50年も前にいまの美しいと評され、便利な道路交通網やリニモの走る街を設計し、
新しい市民を迎え豊かで安らかな暮らしを願い
未来の長久手の発展を想像しながら、
道路、学校、公園、宅地として、整備してくださったを先人の皆様や
これまでのまちづくりにご尽力を頂きました、首長をはじめ市、県の職員の皆様に感謝です。
しかもその土地区画整理事業による、ある意味儲けは、地権者ではなく、市に寄付されまちの基金〔貯金〕として現在も街路等の整備等に大切に使用されています。





