【3.11】
被災された皆様、まちの平穏と復興を祈り、
亡くなられた全ての御霊へ哀悼の誠を捧げます。

当時は発災後にTV、メディアで見聞きするだけで、居ても立ってもおられず、がれき撤去のボランティアに志願し、
宮城県は石巻市の牡鹿半島を訪ねた。

あれからもう5年。
片道14時間をかけて救援物資輸送車を交代で運転して向かった。
201106041020000現場はエレベーターが急に降りるような(ドンッ!)(ドドンッ!!)っと何とも言えない余震が続き、
沿岸からはゴウゴウ不気味な地鳴り。
茶色?黄色?の独特の色と臭気。

頑丈な道路のアスファルトやRCのビルの杭までも飲み込み削る津波によって、海からもたらされた汚泥と魚介類の腐敗臭が立ち込め、
見たことも無い量のウジとハエ。
何処からともなく煙が立ち込め、
茶色い砂塵が舞い、マスクとゴーグルが無いと歩けない。

瓦礫を片付けていると、薄ら笑いを浮かべた外国人か日本人かも不明な窃盗集団がめぼしいものは無いかニタニタと普通に寄ってくる。
201106041555000自衛隊員も暑さと疲労で疲れ果て。

無論警察も居ない。
ATMや自販機、無人のお宅は人災によって荒らされている。

まさに無法地帯だった。
その中で被災されたとある店舗のお手伝いに伺ったが、
さらに表現は難しい状況。
201106041143000
物をどける度に、撤去する度にドキドキした。
死と笑顔が混在していた。
それでも
(3年後!楽しみにみていてください!3年後遊びに来てください!)っととびきりの元気な笑顔で私たちへ感謝のお言葉を頂いたお母さん。
元気かな。
ご自身もお店を失ったばかりでなくご家族を亡くされ独りで気丈に頑張っておられた。
とにかくまちの方の笑顔と元気がとても印象的だった。
あれから5年。
現地までなかなか赴く事はできないが、元気でやっていることを想像し祈るばかりである。
自分の勝手で携わったからこそ祈ります。
心から。




