リニモは必然
長久手市には市内の中心を愛知県の第三セクターとして設立された愛知高速交通㈱が運営する東部丘陵線《通称 リニモ》が走っています。
全国初の実用化された磁気浮上式鉄道 HSST方式のリニアモーターカーです。
これはある意味、本市の顔であり自慢のひとつでもあります。
このリニモの整備に関しては公職を頂きいろいろな方とお話を伺うなか、
リニモは2005年の愛・地球博覧会が【棚ぼた】で長久手市の旧愛知青少年公園(現 愛・地球博記念公園「モリコロパーク」)に決まったので【棚ぼた】【たまたま】【ラッキー】で
長久手市にリニモが整備できたとお話を受けることは少なくありません。
しかし、私のなかでは頭がこんがらがり腑に落ちない話の流れであります。
なぜかと言いますと、私は30年以上も昔の小学生の時、
すでに他界しておりませんが父より
長久手市のメインストリートである
『「通称・グリーンロード」(県道6号 力石・名古屋線)の上を名古屋市の藤が丘駅から愛知青少年公園までリニアモーターカーが走るんだぞ!すごいぞ!』と聞いており、
小学校の卒業文集か当時の先生の課した作文かは忘れてしまいましたが、未来の長久手市(当時:町)について書く時があり、
私は『グリーンロードの上をリニアモーターカーが走っているでしょう!』と書いた記憶が鮮明に残っています。
小学校時代の卒業文集などを探してますが見つかりません。。。
しかし現在はまったくその通りとなり、
私の記憶の父も本当のことを言っていたと解りました。
そして必然は続き、二十歳のころ、
当時通っていた大学の先生の視察講義で名古屋市南区の大江にあったHSSTの実験線に乗せてもらったことも思いだし、
長久手市とリニモ。
私とリニモの出会いは必然であったと実感致しました。
現在のリニモを中心として広がる街並みをみてもどうでしょうか。
2005年時【棚ぼた】【たまたま】【ラッキー】で愛知万博の誘致やリニモの整備の話が急浮上したとしても、
当時の長久手が雑木林に田畑ばかりの町、道路の拡幅、新設整備など都市基盤整備に時間を要する町であったとしたらどうでしょうか。
2005年の愛・地球博覧会をスマートに受け入れられる街、
2019年を迎えた今。
この話を新しい市民の方や市外の方に話しますと驚きご感心を頂きますが、
今風な美しく整備された街路に街並みに
日本一平均年齢が若いまちと言われるように新しく本市に移られてくる市民を無理なく受け入れられる体制は、
50年~30年前から始まった土地区画整理事業や長久手の市政運営の根幹たる総合計画に則ったまちづくりがあったこそであり、
当時7千人からの長久手の先人の村民、町民の皆様と行政の両輪によって生み出された街であります。
それが50年を経た今、ようやく咲き誇っています。
50年前、40年前の当時の資料やまちづくりビジョン等各計画、町時代の総合計画を拝見しますと
その通りに進んでおり
鳥肌が立ち、
勉強すればするほど、深く知れば深く知るほど
当時、未来の長久手を想っておられた先人の皆様と眼や五感、心がリンク、共鳴して涙が出る想いです。
そこに2022年ジブリパークが来ようとしております。
これは50年前、30年前、否、数年前にも無かった話です。
今後、長久手市はどうなるのか。
子どもたちの時代の。未来の長久手市はどうなっているのか。
数年単位の短期のビジョンではなく、
現在長久手にお住いの市民の皆様と、行政が新たな両輪となり、
30年、50年後を見据えたまちづくりが必要な時、
長久手市はまさに今までゆっくりであったスピードが急に上がってきてしまっている現在進行形であり
進みながら、歩きながら、早歩きしながら、考え、慎重かつ夢のある
対策、対応、市政運営をしていかねばならない時であると思います。
忙しくなります!!

↑写真は30年以上前の長久手市(当時:町)の資料ですが、次世代型の交通手段を想定していた「東部丘陵線」のイメージ図と長久手市のマスタープランの礎となるゾーニングに「東部丘陵線」も記載されている。

↑私が長久手に生を授かった昭和49年(1974年)の長久手市(当時:町)の広報

↑約50年前から現在も続く長久手の土地区画整理事業
長久手市の土地区画整理事業の最初の長湫西部土地区画整理事業が始まる2年前
昭和45年 1970年の頃の本市の人口は約1万1千人 市の予算は9億円
現在
令和元年 2019年の人口は5万8千人 市の一般会計予算は約200億円となっています。




