✳️3月11日✳️
14時46分
追悼式に合わせ東北地方方向に向かい黙祷致しました。
私には政治に身を置く以前の出来事でしたが、
当時、
震災の発災後、居ても立ってもいられず、間もなくボランティアに登録させて頂き、物資の輸送車を交代で運転しながら
約15時間ほどをかけ瓦礫撤去に宮城県 牡鹿半島へ向かいました。
その後、除染作業と仮設避難所の実態調査や放射線測定に福島県へ行きました。
それぞれ現場で現地の方々の生の声を伺いました。
《宮城》では、
沖の方からゴゴゴゴゴゴゴと唸るように聞こえる地鳴りが空から迫り、
ギュン!ギュン!ギュン!と携帯の緊急地震速報も鳴り止まず、
突如、ドンっと落下するような余震や、
津波によってもたらされた泥土による土埃に独特の匂い、
金品を探す犯罪者集団も平気でうろつく、
そんな中でしたが、
ご家族全員を津波で亡くされても、
3年後には元通りだから。
今度は遊びに来てよ。
観光も復興になるし、お客様を迎える私たちも笑っていられるから。
と、何とも表現のしようのない笑顔で、ボランティア全員気丈に接されていたお母さん。
《福島》では、
仮設避難所へ移ってからの震災関連死、
とりわけ自死の人数に深い悲しみと、言い知れぬ憤りを覚え、
深い山や山の新緑、鳥のさえずり木々のざわめき、
見た目には全くごく自然の日常の中、放射能測定器が振り切れる中を歩きました。
除染された土がいっぱいに入った黒い1トン袋が行き場も無く山積し、
無言で働く数1000人もの除染作業に当たる労働者が居ました。
とても、とても、東北の皆さんに『頑張って』とはとても言えませんでした。
あれから8年。。。復興は如何程進んだのだろう。
被災地に本当の春が訪れるのはいつになるのだろうか。
皆様、被災地への引き続きのご支援を宜しくお願い申し上げます。


 
 
 


