✳️長久手生まれ長久手育ちの議会人✳️
【まちを創るのは市民であることは昔も今も変わりません】
【50年前はハードをこれからはソフトを】
長久手は愛知県下は然り、今や全国にも名の通じる街に発展しました。
私が生まれ、そして市となる2012年前までは『愛知県愛知郡長久手町』で、
愛知県内はもとより東京や地方へ出向いたおりは『家はどこ?』『どちらからみえた?』と聞かれると、
『んー名古屋』『えーと名古屋の東のほう』『名古屋インターの近くかな』と応えたものでした。
今は、『長久手』と答えれば、県内では『えー!長久手!いいとこだねー!』『ナガクテーぜだね!』『住みたいわー!』
出張や視察のおり、東京方面や全国の地方でも、自信なさげに愛知県のナガクテというまちから来ましたと言うと、
『あー住み良さで有名な』『あー中部初のIKEAができたとこ』『あー愛知万博の』そして最近は、『あージブリができるとこの!』
 とまで言って頂けるようになりました。
長久手の発展をひとくくりに後者の愛知万博を契機に等、最近の出来事の羅列でまぐれ的な発展に片付けてしまう方が多く見えます。
 本当に多く見えます。
【まちを創るのは市民であることは昔も今も変わりません】
しかし、それはいち一因で拍車ではありますが、 大きく間違っており、
約50年前、昭和40年代初頭の名古屋市から東に延びるように計画が進んだ都市計画法に基づく市街化区域による設定によるもので、
その当時は長久手は7,000人ほどの町で、
財政は約5億円ほどでした。
現在の人口は約6万人、
今3月議会に上程された、
平成31年度予算は過去最高の324億円と比べればその発展は一目瞭然です。
これはその人口約7,000人、財政も1億円の時代に、
この町をどうしよう?どうしたら良い?っと当時長久手町に住む皆様で考え協力し、
家、田畑を担保に覚悟をもって保証人になり、
長久手の西の都、名古屋市から順に策定された名古屋都市計画に反発することなくすぐに適応された、
まちの先人の皆様の先見の明とすべてをかけたご尽力にあると確信します。
先祖代々から伝わる大切な自分達の土地を減歩(減らして)して、道路や宅地、公園や学校の都市基盤として供出して行う
『民間主体の土地区画整理事業』によるものが間違いない事実であります。 事実なのです。
自治体が主導して街を作ったのではありません。
当時の町民が自分達で街を作って自治体に供出したのです。
町民と自治体が協力して街を作ってきたのです。
作るは官、運営は民。『公設民営』は最近良く聞きますが、
その逆で、
作ったのは民、運営は官。ある意味
『民設公営』が長久手の土地区画整理事業とその後の発展なのです。
地権者のひとりひとりが私利私欲で大切な土地にしがみついていたら今の長久手市の発展はありえないでしょう。
駅や線路に反対したり、都市開発に地権者が反対して不便なまま。そのような街もまだまだありますが。。。
【50年前はハードをこれからはソフトを】
本日の一般質問(個人質問)では、私と同じく長久手生まれ、長久手そだちの議員の質問に、
長久手市長が前述のいまの長久手ができた話を踏まえながら、あと30年後には必ず訪れる、
『人口減少』『超高齢化』『大規模災害』を絡めて、現在の虐待やDVは人々の疎遠、毎日毎日のストレスが起因である。
長久手の人々が知り合い助け合い、自助、共助、最後に公助の時代であると。
公務員も一所懸命にやっているが人も時間も足りない、地域協働、地域共生社会を長久手から作っていくことが大切、
今の長久手市長の行っている長久手市政の大切さを10分以上かけて答弁をされていました。
長久手市長はいつも答弁がながく、話が理解しにくいためか、
市長の部下である市の執行部も(苦笑い)、
議員の席からも(失笑)がありましたが、
私は『感動しかなく』
また苦笑いをした職員や失笑した議員には心から『憤りを感じました』
やはり長久手市の職員も議員も数字や目先の施策だけを判断する長久手に土着、愛着のない、郷土愛の無い
古い言葉で『新人類』ばかりのそんな時代になったのか、と残念さえ感じました。
私はまたひとつ長久手生まれ長久手育ちの議員として成長することができました。
改めます。
休憩時間となり、すぐに市長のところへ赴き話をしました。
以前に市長から、けんたろう議員は若いが、私とは境遇や考えが似ている、
 けんたろう議員は理解してくれるだろうと声をかけて頂いていました。
本日は、
 長久手生まれ長久手育ちで、土地区画整理事業を知り関わる議会人(市の職員、議員)も少なくなった。
 話を理解してくれてありがとう。
 と握手をして頂きました。
二元代表制で市長とはケンカをする立場が議会議員ですが、
長久手を愛し、長久手をより良く思う気持ちは長久手市長とまったく同じです。
更に長久手の未来のために頑張りたいと思いました。
✳️写真は約40年前の我が家から名古屋市方面の西を見た風景と現在。

約40年前の長久手市喜婦嶽地区から名古屋方面(西)を望む風景


✳️図は土地区画整理事業の構図です。
   (出展 国土交通省)

 
  
  
 


