日常

「長久手市郷土史研究会」

2月20日 土曜日

本日の午後は、新型コロナウイルス感染症の影響により、まさに1年ぶりとなる「長久手市郷土史研究会」の(展示委員会)に委員として参加を致しました。

次回の発表は6月頃を予定しておりますが、題は、長久手の寺子屋についてと、学校の沿革についてを予定しています。

長久手市(旧長久手村、旧岩作村、旧上郷村)には文化10年(1813年)から明治6年(1873年)「明治5年8月」の政府による学制公布まで、ちいさな街の中に、
15ヶ所にも及ぶ「寺子屋」があったことが先人の皆様の研究により解っております。

長久手の街の大きさでこれほどの「寺子屋」があったことや、200名を超える子どもたちを教えてきた寺子屋があること、「寺子屋」でありますが、お寺のみならず農業や医師などの方も「寺子屋」を開かれていたこと、また江戸から明治の時代に女子も寺子屋にて学ばれていることに、委員会でも「学」に対して先見があり、意識が高かった長久手の先人に感動を覚えました。

また、長久手市郷土史研究会は約70名の会員のお仲間がおられますが、ほとんどの皆様が近年他市町より、長久手市に新しく越され、お住まいを構えられた方々で、古くから長久手にお住まいの方は私を含めわずかとなっています。

そんな研究会の皆様は、長久手市の歴史や史実を後世に伝えるべく日々、研究、考察し、自身の脚を使い真実を探求され続け、資料、文献として残されております。
素晴らしい方々ばかりです。
誠にありがとうございます。

長久手市の「寺子屋」については、委員の方と私で数件は特定することができましたが、非常に資料が乏しい状況です。

「私は探求することが好きなので楽しいですが(^-^)」

現在、委員会にて市内の「寺子屋」の足跡、史跡をたどっておりますので、長久手市にお住まいで「長久手市の寺子屋」について、なにかご存知の方は、私までご連絡をください(^-^)

 

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